人様から拿捕したもったいないお宝の展示室であります
年齢制限など注意事項はありません。安心してご覧頂けます(笑)。
たまたま自分の誕生日がハロウィーンだからと『ハロウィーンと二人でなんか書いて〜』という恥ずかしいリクエストに見事に応えてくださった一作。 こんないいもの頂けるなら、事あるごとにねだってみようかな〜(大人放棄)。
「jack-o'-lantern」
カーーーーン…カーーーーン… 時を告げる鐘の音が潮騒の向こうに聴こえて、スティーブンは顔を上げた。 そろそろ患者を見回って、様子を見なければならない時間だ。 ジャックも間も無く状況確認に訪れる事だろう。 ただ、今読んでいた本の中の論文の一節にどうにも勘違いがある様な気がして、それだけは 調べてからにしようと思っていた。 「確かこの辺りに入れた筈だが…」 チェストをひっくり返して望みの便覧を探し当てる。患者巡回後に時間があればもう少し丁寧に調べるつもりで、ブリタニカも引っ張り出したその拍子に、ころり、と何かがチェストから落ちた。 「ん?」 何かの標本を一緒に持って来てしまったかな、と思いながら、落ちたそれを拾い上げる。 茶色く萎びた大体胡桃の実大のそれは、胡桃の殻の様に乾いていたが、胡桃程に硬くは無く、摘まんだ指の力だけで簡単にぺしょり、と崩れた。 「おっと」 辛うじて全損は免れたものの、上下に指の形に穴が開いて、益々何だか判り難いものになった。 「…」 しげしげと眺めて数秒、やがてスティーブンはそれに合点がいった。 そして徐に卓上のメモを眺めて日付を確認する。 「…成程ね…」 多分出航のドタバタで何処かの棚から転がり落ちて、そのまま持って来てしまったのだろうが、妙な符合もあるものだ。意識して持ち込んだものではなかったが、こんな偶然もあるらしい。 スティーブンは小さく笑った。 と、船がぐらり、と揺れた。 「おっと」 バランスを崩した拍子に持っていたそれが落ちて、ころころころと床を滑った。 穴の分歪んでる筈なのに、なかなか止まらない。 スティーブンが手を伸ばした、その時だった。 「スティーブン!」 ずかずかと入ってきたジャックの靴が、いとも簡単にそれを踏み潰した。 「!」 「聞いてくれ給えマイディア、こんなものが手に入ったんだよ…?」 妙な姿勢の軍医とその視線の先に、自分の足がある事に気付いたジャックは、動きを止める。 スティーブンの表情を伺って、やや気まずそうな表情が浮かんだ。 「…何か…踏んずけた、かな?」 「まあね」 恐る恐る、といった風情でジャックは足を上げて、下を見る。 「…壊してしまったらしいな。すまん」 心底申し訳なさそうな顔でこちらを窺うので、スティーブンは肩を竦めてみせた。 「何、どうせもう壊してたから構わないさ」 「そうか…いや、しかし…」 「どうしたんだい?」 「いやその…君が責めないなんて」 「別に命に関る話では無いからね」 ジャックは破片をひとつ摘まみ上げて、それを見つめた。 「古そうなものじゃないか。思い出の品とかだったんじゃないのか?」 「確かに思い出の品と言えば言えなくも無い。だがもうこの思い出はそんなに重要でもないんだ−それよりジャック」 不得要領な顔をしたジャックは、それでも、ん?と問い返す。 「明後日が何の日か知っているかい?」 「明後日…」 半瞬の後にああ、と合点のいった表情をした。 「万聖節だな?」 「その通り。つまり明日はオールハロウズイーヴニン−ハロウィーンって訳さ」 「その位は知ってるぞ−家では祝わなかったけどな。君達の方がよく祝ってるんじゃないのかい?」 ジャックが鼻をうごめかさんばかりに得意気な顔をしたので、スティーブンはつい微笑した。 「ああ、と言いたい処だが、僕も子供の頃はカタロニアに居たからね。それなりに大きくなってから祭りとか言われてもなかなか馴染めるものじゃない。まして霊払いとかいわれてもね。君と似たり寄ったりさ」 「…そういうものかね」 スティーブンは自分も、床に散らばった破片の一つを拾う。 「これはそういう類のものでね。ハロウィーンに飾る魔除けの提灯を模したものなんだ」 「へえ…確か、ジャガイモで作るとか、何処かで聞いた気がするんだが」 「カブだよ。これは違うがね。本来はカブを繰り抜いて、提灯にするんだが…」 と、そこ迄言い掛けて、スティーブンはある謂われに気が付いた。 余りの符合につい、吹き出しそうになるのを堪えながら、ジャックの顔を穴の開く程見つめる。 「…?」 きょとんとするジャックを見つめて、スティーブンはやや意地の悪い笑みを浮かべた。 「失敬。一寸その提灯の名前は聞いた事があるかい?」 「いや。そこ迄は知らないな。何て言うんだ?」 「ジャコランタン…って言うのさ。綴りはこう」 笑いを堪えながら、手近のメモに”Jack-o'-lantern”と綴ってみせる。 ジャックの表情が予想通りに変化するのを見て、内心で大いに満足した。 「更に曰くを付け加えると、これは悪魔に嫌われたジャックと言う男が、天国と地獄を行き返りするのに、カブの中身を食べて作ったものと言われてるのさ」 それが彼の死後の話しで、しかも本当は天国と地獄の間を永劫に彷徨うという下りは、意図的に省いた。 海の男の御多分に漏れずジャックも縁起担ぎだから、余計な事は言わないに限る。 「ええ?!そ、そうなのかい?」 だがそれでも充分に衝撃は与えられた様だ。 「まるで君の様じゃないか…!」 つい、我慢出来ずに笑い出す。 ずっと堪えていたのでなかなか収まらない。 「…拿捕のチャンスと借金との間で行ったり来たりする処が、か?」 やや低い声音がスティーブンの笑いの隙間に響く。 どうやら少し機嫌を損ねてしまったらしい。 スティーブンは表情を改めた。 「ハーハーハー…違う。『悪魔に嫌われてる』って辺りだよ−ラッキー・ジャック」 「君迄そんな事を言うのか…?」 「運も身の内、さ」 一寸笑って。 「それだけ君の名前には、力があると、思っとけば良いんだよ。例え伝説でも悪魔に嫌われるってのは、良い事だと思わないかい?」 かなりらしくない−自分にしては根拠の無さ過ぎる説得だったが、それでも巧く縁起担ぎの部分をつつけたらしく、何とか効いてくれた様で、ジャックに笑顔が戻る。 「…君らしく無い発言だな、スティーブン」 「ああ、自覚はある。だがこの話しを先に振ったのは僕だからね。それで君を不機嫌にしてしまっては、不面目もいいところだろう」 ジャックはくしゃりと笑った。こういう拘りのない、懐こい処がたまらない魅力だ。 「よろしい。きょうだい、君の珍しい発言が聴けたので、この話は額面通りに受け取っておくよ。そう思えば獲物になかなか出会えない気分も少しは晴れるってものさ」 邪気の無い笑顔に応えてスティーブンも微笑を返してみせる。 「そいつは助かるな。で、先ぶれも無く、巡回時間を早めた理由は何かな?」 しまった、といった表情がジャックの顔に浮かんだ。 目まぐるしく表情をあれこれした揚げ句、取り繕う様にしかめつらしくえへんとひとつ咳払い。 「あー、ドクター、その………駄目だ」 結局うずうずさせてる気分は抑えられなかったらしく、顔が笑み崩れる。 そして小脇に抱えた大きな紙ばさみを広げた。 「これを見てくれドクター!さっき迄調べていた書類の中にあったんだ!」 「フランスの拿捕船から手に入れた文書、だったっけ?」 言われてスティーブンもそれを眺める。 それは−楽譜だった。 「…ほう?これは珍しい曲だな」 「だろ?これを早く見せたいと思ってね、つい急いてしまったんだ。幸い今の処は順風で特に差し迫った問題もない−どうだね、何も無ければ今夜?」 ああいいね、と応えつつ、スティーブンは早くも楽譜の流れを追って旋律を脳内に響かせてみる。 その調べをジャックと奏でられる事に喜びを感じながら、目線を動かした先に、壊れた提灯の残骸があった。 これを作った人間は組織内の内部抗争で、早々と吊るされていたな、と思い出す。 知り合ったのは確か牢獄が先で、よく夢みたいな事を語る男だった。 理想を謳っても、叶わなければそれは只の幻でしかない。 丁度その作品の様に、砕けて塵になるだけで、後には何も残らない。 「…象徴的だな」 「ん?」 滔々とと語るジャックが口を止めて、スティーブンを見た。 不用意に呟いてしまった事を内心で恥じながら、スティーブンは笑顔を向ける。 「あ、いや。独り言だ。気にせず続けてくれ給え−此処のクレシェンドの事だろう?」 「ああ、そうだよ、此処はこんな風に弓を…」 ジャックの声が潮騒との心地好い合奏を奏でる。 今宵の宴に思いを馳せながら、スティーブンは目を閉じた。
−終劇−